「チャンピオンたちは朝食で何を考えるのか」
3年 篠原 力
明治のサッカー部には2種類の人間がいる。
それらは、"ジョウキュウセイ"と"カキュウセイ"と呼ばれ分類されている。
実を言うと、私は最近カキュウセイからジョウキュウセイへと移行したところだ。
この移行は珍しいことではなく、むしろ全員が通る道である。
カキュウセイは雑用などの仕事をすることが多く、
とにかく自分の時間というのがあまりない。
ジョウキュウセイになるとなんかちょっと偉くなる。
食堂に1台しかないテレビのリモコンを片手に真ん中の机に座ることを許され、
そこには既に朝食や夕食の準備ができていたりする。
これらはジョウキュウセイの特権とも言える。
しかし、このような分類が為されるのは明治のサッカー部に限ったことではない。
大学の体育会と呼ばれる部活動のほとんどでは同じような例が報告されているし、
広く定義すれば小学生でも当てはまると言われている。
カキュウセイからジョウキュウセイへという移行は、
私にとって今回が初めてではなかった。
小学4年の時、友人と廊下を走って遊んでいた私に先生が、
「カキュウセイのお手本になりなさい。もうあなたはジョウキュウセイなのだから。」
と叱ったときに、私は初めてこの2種類の人間の存在を知ることとなる。
それから何度と同じ道を通る度に、
ジョウキュウセイのあるべき姿とはなにかという問いに直面した。
それは、多くの人々が同じように取り組んできた課題であった。
そして今再び私の前に突きつけられた課題である。
非常に悩ましくも厳しいものであるのは間違いない。
しかし、今回は手がかりがあるという点で私は条件が良いと考えるべきであろう。
明大サッカー部には、今まで多くの優秀なジョウキュウセイがいたからだ。
彼らは私たちに進むべき道を示してきた。
中には、カキュウセイの貪欲さと積極性を備えつつも
ジョウキュウセイの落ち着きを見せる特殊な種もいた。
大抵、こういった優秀なジョウキュウセイに私たちは憧れ、
その背中を追ってきた。
既に問いの答えは教えられてきたはずなのである。
今、私は先人の想いを背負い責任を果たすジョウキュウセイになれているのか。
進むべき道をカキュウセイに示せているのか。
片道30分のグラウンドに向かう甲州街道の途中、
つつじヶ丘から仙川の間、登り坂に差し掛かり大きなカーブの先はまだ見えていない。